理解と暗記は違う。

理解と暗記は違う。受験勉強をする中で痛感したことだ。読んでくれている人の中には、そんなこと当たり前だろ。という人もいるかもしれない。その人はすごい。僕は、高校に入るまで、ゲームしかやってないし、そのゲームだって、本気でうまくなろうとかそういう気持ちじゃなかった。いや、うまくなりたくても馬鹿だから、頭を使うという発想がなかった。僕は今、化学やら英語やらの参考書を読んでいる。どう読んでいるかというと、読みながら疑問に思ったこととか、へえーそうなんだ。とかの疑問、感情をペンで書き入れながら読んでいる。疑問があったら、すぐに、解決するために考え始める。解決したらまた書き込むし、解決しなかったら、ネットや、学校で聞く。このやり方に暗記と理解は違うということを凝縮している。まずは、理解するということについて整理する。

理解するということ。

1・本の内容を山と捉えると、理解するとは、山頂へのルートを地図で確認すること。

つまり、論理でとらえること。

2・論理でとらえると、情報に規則性が生まれる。だから、記憶する量が減る。

3・論理でとらえると、情報の根っこの方、まあ規則性みたいなもの。を捉えられるから、応用ができる。つまり、難しい問題が解けるようになる。

 

暗記すること。

1・暗記するというのは、つまり学習であり、これがないと何もできない。

2・暗記物というのは大体。記号であったりする。なぜかというと、論理でつなげるのがとっても難しい。「あ」というのがなぜ「あ」という形なのか答えるのは非常に難しい。確かに誰かが、何か意味を持って作ったのかもしれない。だが、それは非効率というか論外というか、ウーム、そのー、単独で存在しているのだ。

 

色々書いたが、うむ。まとめると、

理解するというのはとても大変なことだ。時間がかかる。「あ」の例でわかると思う。そして問題なのが、理解したというのもまた記憶であり、忘れれば、理解というのも消える。時間が大切な受験には相当な痛手である。ここで理解というのが暗記と異なるというのは、理解をルートと捉えることだ。結局は、理解した事柄は、暗記物となるわけだ。ならば、記憶するにはどうすればいいか?それは、感情を伴ったり、復習したりすることだ。では、復習する、受験が時間との勝負であると捉えると、理解したルートを記録することだ。そうすれば見返したときに素早く復習できる。復習できれば、記憶に残り、身につく。おけーい。

 

読んでくださりありがとうございました。^ー^