勉強2(続き)

最初に。下の文を書き終えた後のテンションで書いております。このブログは、高校生が書いたものです。

 

 

勉強。という文の続きです。                

働く人がいなくなったら文明のレベルが落ちる(そもそもなぜ文明のレベルを上げたか?この疑問は面白そうだから他の記事で考えたいです)(この文では文明の維持を必要なものとします。これも根本的な疑問です。)そうすると人類は全体で分業しているのでサラリーマンなどの働く人は一定数必要です。さらにいえばサラリーマンという枠組みをしていますが、あらゆる職種について必要なのです。例えば、教師の仕事をしているとします。最近ネットでは教師の仕事がすごく大変なんだとか言っている人はたくさんいて、それが理由で将来教員になろうとしていた人々が教師につくことをやめます。その時教師の人だってそんなこと言われたら止める人も絶対います。教師が本当に必要な仕事かは放っておいて大事な仕事だとすると、今の状況は教師の大変さに拍車をかけているといえます。なぜかというと人が減ると、一人当たりの仕事量が増えるからです。それではまずいのです。農業が最も適当な例だと私は思っており、冒頭に言ったように人類はみんなで分業しているのですから。ですから教師を辞めて普通の会社に入ったぜイエーイ楽になったぜではいけない。サラリーマンならいいというわけではなく、サラリーマンという枠の中のすべての職種に適当な人数が割り当てられるべきなのです。youtubeに教師関連の動画をあげている人を見ると少し嫌な気分になります。もちろん私の意見であり、正しいとは限らないのですが・・正しい意見を出せたら堂々としていいんですけどね。いや少し批判を恐れてしまいました。

結論としてサラリーマンは必要と分かりました。私たちが学校教育の末行くのは、ほとんどの人がサラリーマンでしょう。いやそうでなければ困るのが自分たちなのです。

ならば、学校教育とは人をサラリーマンにするためのものでしょう。上の考えを足すと、人を様々な職種に割り当てるためのものだ。そしてその最初の職を変えさせないためのものです。

さて、ここで学校の勉強とはどんなものだったか見てみましょう。ちょっとネットでいろんな人の意見を集めてみます。

Googleで学校の勉強と調べると、

学校の勉強 意味、つまらない、役に立たない、意味ない、などがありますね。僕自身そんなにいい高校に通っていないし、高校生ですから、現場の感じは知ってます。

家から帰ったら友達とゲーム、授業はほぼ寝てる人もいますし、勉強をしてる人はほんとにいません。確かに勉強は知識としてはあまり役に立たないでしょうね。簡単な仕事に関してはですが、古典はマジでいりませんし、化学もそんなに使いません。あれ、僕矛盾したこと言ってますね。さっき様々な職種に人をつけるための学校教育といいました。古典はいらない。一見正しそうに見えます。*1

この文章では古典を使った仕事も文明の維持に必要とします。とすると古典の仕事に就く人も一定数必要。ということは、学校で古典の勉強をしたのは古典の職に就かせるためなのかもしれません。

そろそろ勉強2は終わりにしたいと思います!

次は勉強3です。

読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:カッコ内は読まなくても大丈夫です。((((正直僕にも本当に古典が要るのかわかりません。この問題は古典を使う仕事にその必要性が見いだせるかということにつきます。ただ、そのような話は個別で考えなくてはなりませんし、そもそも人が滅ぼうが地球がなくなろうが宇宙からしたらどうでもよいのです。必要性とはそれぞれの望みでしかないです。生きる理由とかでいうと、生きる理由も必要も個人の間でははじめはないです。生きる理由とかははじめからなく、自分で作って自分で望んだことがあなたの生きる理由です(他人からというのもあると思います。)もちろん他人のことを考えて行動しなければ本当に大変なことになると思いますが・・)))